無理の構造
◆本の概要
著者:細谷功
ページ数:150ページ
第1刷発行:2016年3月1日
◆本書の目的
「どんなに頑張っても報われない」
「なんで自分(あの人)だけが…」
「世の中不合理なことばかりだ…」
本書が目指すのはこのような理不尽のメカニズムを可視化することです。これによって私たちが日常「世の理不尽さ」から感じているストレスや、それに対抗するための「無駄な抵抗」を少しでもなくそうというのが本書の目標です。
◆非対称性
人類の知力=抽象化(+具体化)といってもいいほどに、具体と抽象の往復としての思考の価値はいくら強調しても足りないが、知識と同じようにこの抽象化という能力そのものが同時に人間社会に様々な軋轢を生み出している。
○非対称性:「抽象化の不可逆性」
人間は良くも悪くも、一度法則化、ルール化してしまうと、そのパターンが変化しても、覚えた法則やルールを疑うことなくいつまでも使い続ける。(文法、会社のルール、法律など)もともと具体レベルの事象から生まれた抽象レベルの決まり事が、具体レベルが変化しているのに固定化することで具体と乖離してしまう。
○非対称性:具体と抽象が「マジックミラー」の関係になっている
抽象レベルを理解している人には具体が見えるが、具体しか見えていない人には抽象レベルは見えない。ネットの議論などで、メッセージをシンプルにして「〇〇すべきだ」と言い切っている人に対して細かな例外事項をあげて反論する人がいる。大抵の場合、具体レベルの詳細については十分周知した上で単純化した抽象メッセージを発しているわけですが、そういう人は構図自体に気付いておらず、「あの人は現場がわかっていない」といった発言になる。
○非対称性:「人間心理」
人間心理にはさまざまな不可逆性が潜んでいる。片側へは無理せずとも自然に流れるが、逆方向に戻すには大変な労力が必要になる。
・厳しいものから楽なものへ
・思考状態から思考停止へ
・どんどん強い刺激を欲する
・一度手に入れたものはなかなか手放せない
・生活レベルを下げられない
人間は一般的に保守的であり「変えること」よりも「変えないこと」を選びます。そして私たちの印象を変えるのは、「絶対値」よりも「相対的な変化」です。例えば、価格に関する印象は教科書的にいえば「そのものの価値」によって決まるはずですが、実際にはその「価値」の印象は「他社の製品との比較」や「昨年との比較」によって決まります。
○具体化、細分化の法則:高度化すれば視野が狭くなる
社会に求められるニーズが「難しく抽象度が高いもの」から「やさしく分かりやすいもの」になっていくのも不可逆的です。「政策から政局へ」「教養番組からバラエティへ」と変わっていく流れを「昔に比べてレベルが下がっている」と少数派の教養人が嘆くという構図はよく見られますが、これも不可逆の流れと言えるでしょう。
この流れは劣化というよりは大多数の平均レベルに合ってくるということです。
○上流・下流の法則:不毛な議論に費やされる膨大な時間
人材で言えば尖った人が必要なのが上流で、平均レベルを上げるために底上げが重要なのが下流です。上流と下流では要求される価値観やスキルは正反対といってもよいほど違ってくる。
例えば、
・「個人の個性」が重要なのは上流、「組織の規律」が重要なのが下流
・「個人技」で進める上流、「仕組み化」が重要な下流
・「理想」が重要な上流、「現実」が重要な下流
・「フラットな関係」が重要な上流、「階層関係」が重要な下流
このように上流と下流では特性が異なり、必要とされる価値観やスキルも大きく異なるのに、それをごちゃ混ぜにして「どちらが正しい」といった議論が行われている。重要なのは「どちらが正しい」ではなく、対象とする議論が上流の問題なのか下流の問題なのかを前提として共有することです。
また、上流から下流に組織が成熟化するにともなって、トップになる人のタイプは「新し事業を立ち上げた人」→「売上の実績を挙げた人」→「優秀な社内スタッフ」というふうに変化していきます。
○公平という幻想
「人生は公平である」というのは、そう思わなければやっていけないのかもしれませんが、現実はそうであるわけはない。やっかいなのは、成績や能力を公平に評価する方法などこの世には存在しないこと。成績も能力も自分が高く評価させる基準ことが公平な基準であると、みなが思っていることです。要するに人の数だけ公平さは存在するので、私たちが持ち出す「公平さ」は所詮、自分にとって都合のよい公平さでしかりません。
世の中は基本的に不公平であるという前提を置けば、そのとたんにほとんどの理不尽さが解消するのではないでしょうか。
努力の成否は他人と比べて結果がどうかではありません、比較対象は努力しなかった自分です。
○全体像という幻想:自分の視野の狭さには気づきようがない
自分の視野の狭さに気付くためには外側の領域の存在に気付く必要がある。
そして無知には大きく3通りがある。
1つ目は「事実の無知」
静的な情報や知識に関する無知。指摘されれば簡単に気づくことができる。
2つ目は「範囲の無知」
程度の大小に関する無知。本物のレベルの高さを知らない素人が中途半端なレベルに達して傲慢になってしまう状態。
3つ目は「判断の基準そのもの」の無知
芸術作品や小説、映画などの面白さが分からないや、他国や世代の違う人の価値観が理解できないどがあげられる。
気付きやすさの点では、1,2,3の順番だが、気づきの重要性はその逆となる。
○啓蒙という幻想:教育は無力なのか
「思考」の方法を取得するには本人が内側から扉を開けていることが必要となる。上流・下流でいえば、下流の世界は外部からの強制的な教育の有効性が相対的に上がりますが、上流の世界では内側から扉を開けることが必須となる。これは必要な能動性の程度の違いともいえる。この順序で教育の方法も、「自由にさせる→やる気ある人に面倒見よくする→全員に強制ルール化する」と変化していく。
これらの施策は、会社の進化段階を間違えると有効ではなくなる。ここで重要なのは場合分けです。どの段階でどんな人財をどうしたいかという場合を明確に前提条件として決めないまま、自由が良いとか全員が強制だという議論をするのは時間の無駄。